「夏山素麺」
井尻 哲 さま
「うまい!生き返ったー」A先輩が満面の笑みで揖保乃糸を頬張る。雪渓から流れ出た水にさらした素麺はきゅっとしまり、薬味はなくても生醤油だけで麺の甘みが引き立つ。
後ろを振り返ると、氷河の浸食によりできたこの山の巨大なカールと雪渓がせり上がり、吸い込まれるように青く高い空に岩壁の稜線が眩しい。ここは北アルプスのど真ん中、黒部川源流となる黒部五郎岳のすり鉢の底。
夏山の朝は早い。午前3時に起床し、テントを撤収して朝食は摂らず、ポケットの乾パンを食べながら黙々と歩く歩く。6時間行動してこの地に着いた時は腹ぺこで喉もカラカラだった。凛とした素麺で身も心も蘇った。
食品に関わる学科に入学した私はワンダーフォーゲル部で常に食当(メニューを考えたり食材を調達する係)を命ぜられた。任された上は山の食事の常識を変えてやろうと、朝の飯炊きをやめて雑煮にしたり、冬山では鶏もも肉を焼いてクリスマスを演出し喜ばれたりした。素麺は軽くてコンパクト、水さえあれば調理でき、器具も汚さない優れものだ。夜はシチューを作り、その中に放り込んだら食べ応え十分のスープ素麺となり大満足。
還暦を過ぎた今夏も、穂高に挑戦しようと計画している。A先輩は四十代半ばに早世され、定年後の二人登山は叶わないが、毎回先輩にいただいた手袋を着け同行している。今夏は涸沢カールで揖保乃糸を頬張るかな。
「父を探して5千キロ」
角谷 花瑠 さま
父に会いたい。
父はベトナム人で、日本で食堂を経営していましたが、私が7歳のときに離婚し、お店を畳んで帰国してしまいました。それ以降、一度も会っていません。私は父のことが大好きで、父がそうめんで作ってくれたフォーの味が、忘れられません。父と会えなくなって10年、高3の父の日に、卒業したら父を探しに行くことを決意しました。手掛かりは、本名と生年月日だけで、ベトナム大使館に問い合わせてもヒントすら得られません。
「とにかく行ってみよう」
アルバイトでためた50万円をふところに入れて、トランクケースにそうめんを詰め込み、ベトナムへ飛びました。白タクをチャーターし、ベトナム中の役所をくまなく回ります。期限は一週間、宿は民泊です。
私は泊った民家で、父直伝の「そうめんフォー」と日本風の冷たいそうめんをふるまいました。どちらも好評で、持参したそうめんは3日で底をつきそうになりましたが、一束だけは父との再会のために取っておきました。
そして4日目、ベトナム中部の町ビンで、ついに父が経営する食堂を探し当てることができました。北海道を出て5千キロ、涙が止まりません。再会の喜びもそこそこに、私は持参したそうめんでのフォーを父にリクエスト。やっぱり私のよりおいしい。
どんなに離れていても、そうめんが私と父を繋いでくれます。ふと夜空を見上げると南十字星が輝いています。光の糸が、まるでそうめんのようです。
【講評】 審査員/俳人・文筆家 堀本 裕樹氏
応募作のなかで一番ドラマチックな展開を見せてくれた。七歳のときに別れた「父に会いたい」という一念を胸に、むかし父が作ってくれた「そうめんフォー」の忘れられない味を求めて、北海道からベトナムへと旅立った高校生だった作者。「本名と生年月日だけ」を手掛かりに、「トランクケースにそうめんを詰め込み、ベトナムへと飛び」立った作者を読み手も応援したくなる道行である。
父との再会の場面をもう少し書き込むと、このエッセイにさらに厚みが増したのではないかと思うが、ラストの壮大な描写が作者と父との絆を強く煌かせた。
「おばあちゃんのそうめん」
堀江 あづさ さま
子どものころ、夏休み中の食事はそうめんが多かった。お盆の供物でいただいたそうめんは大量で、夏休み後もそうめんの食事が続いた。
私が育ったのは東北地方の山奥で、両親は林業と農業で細々と暮らしをたてていた。畑で採れた野菜や山菜を使った料理が主なおかずで、食事の支度は祖母の役割だった。貧しいわが家にとって、そうめんはごちそうだった。
あれは小学校高学年のころだったろうか。夏休みが明けて間もない時期に、その日の夕食をテーマに作文を書く宿題がでた。
夕食はそうめんだった。祖母が育てたナスを焼き、裏庭に自生している大葉と一緒にそうめんを口に運ぶ。それが定番の食べ方だった。
夕食後、宿題の作文に向かうと、「なに書いてんだべが?」と祖母が尋ねた。
「今日の夕ごはんの作文、書いてるんだぁ」
祖母はとたんに申し訳なさそうな顔をした。
「宿題に書くんだったら、もっといいごはんを作ってやったのに。あづさ、ごめんな。ごめんな」
祖母は何度も謝った。
「なんで謝んの?おばあちゃんのそうめん、うまがったよ」
その言葉にうそはなかった。祖母の作るそうめんは、素朴な味わいでおいしかった。
わたしは高校卒業とともに故郷を離れ、初夏の時期に祖母は他界した。暑い季節が巡るたびにそうめんを食べているというのに、なぜなのだろう。祖母が作ってくれたそうめんを超える味には、まだ出会えていない。
【講評】 審査員/俳人・文筆家 堀本 裕樹氏
小学生だった作者と祖母との交流が、そうめんを通して抒情的にしっかり描かれている。作者と祖母との東北弁の会話のやりとりがあたたかく、二人の心がよく伝わってくる。
「貧しいわが家にとって、そうめんはごちそうだった」とあるが、「祖母が育てたナスを焼き、裏庭に自生している大葉と一緒ににそうめんを口に運ぶ」夕食は、味わい深く読み手の味覚をも充分に刺激してくれる。
「宿題に書くんだったら、もっといいごはんを作ってやったのに。あづさ、ごめんな。ごめんな」と何度も謝る祖母に小学生の作者は、「なんで謝んの?おばあちゃんのそうめん、うまがったよ」と応え返す。その互いの優しさに胸が熱くなった。
「母親の後ろ姿」
吹上 洋佑 さま
上京して、初めての夏がやってきた。東京は、想像以上に暑かった。気候だけではない、人々の熱気のせいだ。
家族も友達もいないこの東京で、本当にやっていけるのか、ものすごく不安で、とにかく休日が怖かった。なにもやることがない。会ってくれる人がいない。一人で出かける東京散策も、もう飽きた。金曜日が憂鬱だった。上京してまだ数ヶ月しか経っていないのに、田舎へ帰ることを考えていた。
そんなある日の土曜日、昼前に目を覚ましたボクは、空腹だった。弁当を買おうと、近くのコンビニへ出かけた。すると、そうめんが売っていた。夏らしい、それだけで何気なくそうめんを手に取った。そして家に帰り、早速茹でた。すると、ふと、母親がそうめんを茹でている後ろ姿を思い出した。うちでは休日に、よくそうめんとコロッケが出た。家族みんなでテーブルを囲み、そうめんをすすったのだ。茹で上がると、ボクはあわてて家を出て、コロッケを買って来た。そして、そうめんをすすりながら、コロッケを頬張った。懐かしい香りがした。すすればすするほど、母親を感じた。
ボクはそれから、毎週休日に、そうめんを食べた。そうめんを食べると、家族が一緒にいる感覚になれた。きっと母親も、今ごろ田舎でそうめんをすすっているに違いない。離れていても、心はつながっている。快く送り出してくれた母親のためにも、とりあえず東京で頑張ることにした。
【講評】 審査員/俳人・文筆家 堀本 裕樹氏
故郷にいるときに母が作ってくれたそうめんの味を思い出すことによって、上京してきたばかりの作者の心もとなさが和らいでいく。その様子が淡々と描き出されている。
「家族も友達もいないこの東京で、本当にやっていけるのか」という不安を作者は抱えながら、コンビニでふと見つけたそうめんを購入して家で茹でる。そのとき、そうめんを茹でてくれた故郷の母の後ろ姿を思い出す。と同時に家族みんなで食べた団欒が蘇る。
故郷に同じくそうめんをすすっているだろう家族の姿を思うことで、「離れていても、心はつながっている」と、作者は絆を確かめる。
東京と故郷をつなぐそうめんの味には、郷愁という薬味が効いているようだ。
【講評】 審査員/俳人・文筆家 堀本 裕樹氏
夏山に挑む作者とA先輩の様子が活写されており、その山容を背景に二人の友情が描かれているところに惹かれた。そして何よりも山中で食べる素麺の描写が秀逸である。
作中に描かれた「雪渓から流れ出た水にさらした素麺はきゅっとしまり、薬味はなくても生醤油だけで麺の甘みが引き立つ」とか「夜はシチューを作り、その中に放り込んだら食べ応え十分のスープ素麺となり大満足」といった素麺を調理する場面には、読み手も思わず喉を鳴らして食べたくなるような確かな描写力がある。
A先輩への追悼の念を込めつつ、山男らしい力強く前向きな姿勢が、簡潔かつ明瞭な文章によって的確に構成されている。